水中考古学へのいざない(19)

瀬戸内海に眠る龍馬の「いろは丸」、日本の夜明け夢見た志士たち

【水中考古学へのいざない(19)】瀬戸内海に眠る龍馬の「いろは丸」、日本の夜明け夢見た志士たち
【水中考古学へのいざない(19)】瀬戸内海に眠る龍馬の「いろは丸」、日本の夜明け夢見た志士たち
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 慶応3(1867)年、幕末の志士、坂本龍馬と海援隊が乗る蒸気船「いろは丸」は、広島県福山市鞆の浦の瀬戸内海に沈んだ。このいろは丸を取材するため、今年9月上旬、呉市での講演会の帰路、昔ながらののどかな風景を残す同市鞆町を訪れた。

 ■海底から沈没船

 いろは丸の発見は、この地域に伝承される「唐人船が沈んでいる」を信じた町おこしグループの素人調査から始まった。昭和63(1988)年、「鞆を愛する会」が中心となり、福山市の沖合(水深27メートル)の海底から一隻の沈没船を発見した。この船がいろは丸として、当時、新聞各紙が報じて話題を集めた。

 これを受けて「水中考古学研究所」(現NPO法人水中考古学研究所)が潜水調査を実施し、海底に埋まった鉄製の船体を確認。滑車など船のパーツや燃料用の石炭、陶磁器類が引き上げられ、積載品の種類や年代がいろは丸の記録とほぼ一致することがわかった。

 ■鉄材は欧州産

 いろは丸は慶応3(1867)年、大阪へ向けて長崎を出港した。ところが、瀬戸内海で紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突し大破。鞆の浦へえい航中に福山市走島町宇治島南方沖の海底に沈んだ。

 海底の調査はたびたび行われ、平成17(2005)年には、民放テレビ局の協力で、第4次調査を実施。これまでの調査成果とあわせて、いろは丸の船体は、全長36・5メートル、幅5・6メートルであることが確認された。