軍事と科学が無関係でいられない以上、どのような関係をもつべきかについての不断の問いかけが必要であろう。防衛省なら危険で経済産業省なら安全だといった話ではない。1967年当時と今日の内外環境の変化も考慮しなければならない。
従って、デュアル・ユース技術にどう向き合うのか、学問の自由をどう保障するのかなどの難問は、一片の声明や学内規則で対応できるものではない。
また、文部科学省が推進する大学のグローバル化に追随しながら、欧米(特にアメリカ)の有力大学が資金源とする軍事研究に背を向けるのなら、日本の大学はどのように競争力を高めるのか。これも真面目に議論されなければならない。
≪米国社会は東アジアの縮図だ≫
おそらく多額の助成を期待できない大学が「本学は一切禁止」と即断するのは、核兵器が絶対に配備されそうにない地方都市が「非核平和都市宣言」をするようなものであり、上述のような難問からの体のいい逃避にすぎない。
ただし、こうした日本の大学の複雑な事情に十分に配慮していたかどうかについては、防衛装備庁にも検討すべき点はあろう。