龍馬暗殺150年

誰が龍馬を殺したのか、黒幕は…歴史作家・桐野作人氏が「真相」に迫る

 (4)幕府説=実行犯そのものが京都の警備にあたっていた(幕府の組織である)京都見廻組か新選組という説が根強いことから、この説が有力とされる。特に京都見廻組だった今井信郎や渡辺篤が証言や記録で「自分たちが襲った」としており、新選組より京都見廻組の方が有力視されている。ただ暗殺に参加した人数など共通点があるものの、今井が後に証言を修正したり、現場の状況と矛盾する点などがあるとして、信憑性について賛否両論があるのも事実。現場に新選組隊士の遺留品があったとして新選組も疑われているが、こちらも決定的証拠ではないという。

 ほかにも、龍馬とともに亡くなった中岡慎太郎犯人説や、そもそも暗殺場所が近江屋ではないとする説などさまざま。万人を納得させる決定的な証拠・証言がないことだけでなく、龍馬に敵が多かったことや、政局が混乱した幕末期だけに親しい人間による裏切り行為も否定できない時代背景が複雑に絡む。

 桐野氏の講演はこれらを踏まえた上で進んだ〉

新選組にも尾行された「危険人物」

 桐野氏「龍馬暗殺を考える上で、当時の緊迫していた京都の政局を理解する必要がある。龍馬が幕府側に監視されるきっかけは、文久3(1863)年8月18日の政変で、(会津藩などの公武合体派によって、尊王攘夷派である)長州藩が京都から追放された。さらに翌年の禁門の変(京都での復権を目指し出兵した長州藩士が、会津藩などによって制圧された)によって、長州藩は朝敵となった。当然(長州藩に)加担した人間が京都に入れば指名手配され、殺害される状況にあり、龍馬もその例外ではなかった」

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