自慢させろ!わが高校

福岡県立小倉高校(下) 「離れても懐かしくなる」母校からの愛

卒業生、柳亭燕路さんから落語の手ほどきを受ける生徒
卒業生、柳亭燕路さんから落語の手ほどきを受ける生徒

 10月25日、小倉高校の講堂が寄席に変わった。芸術鑑賞教室の時間で、卒業生で落語家の柳亭燕路(えんじ)(本名・浅間聖史)さん(58)=高校29期=が、落語を披露した。会場は笑いで包まれた。

 燕路さんが落語の世界を目指したのは、大学に進んでから。下積み時代、高校の同級生に連絡を取ることはなかった。あるとき、地元の北九州市にいる姉が、燕路さんの落語の会を開いてくれた。

 「幕が開いたら、同級生が前に座っていて、びっくりした。告知を見て『おい、浅間じゃないか』と話題になったようです。ずっと支えてくれるみんなに感謝しています。母校愛というと母校を愛しているという意味ですが、僕は倉高に愛されていると受け止めています」

 倉高の特徴の一つが、各界で活躍する多彩な卒業生だ。母校が卒業生を支え、卒業生が母校を支える。

 北九州商工会議所会頭で安川電機特別顧問の利島康司氏(76)=12期=は「(小倉の中心部)魚町銀天街の雑貨屋の一人息子で、幼いころはわがまま放題でしたが、倉高に入り、規則正しい毎日を送った。規律正しく、目上の人は立てる。人なつっこく、友達を大切にする。うまく人を育てる学校だったと思います」と振り返る。

 「校則にひっかからん程度に自由にやっていて、ガールフレンドがほしくてナンパもした。小倉高と西南女学院の組み合わせがブランドでしたね。ナンパは成功しませんでしたけど」と懐かしんだ。

 利島氏ら12期は「ワンツー会」と題し、今も毎月12日に集まる。驚くことに、参加者は年々増えているという。

 「良い友人関係を築いたから、いったん離れても、懐かしくなる。企業トップになった卒業生はみんな上品でしょう。横柄なのがおらんから、政治家になる人間がいなかったんでしょうね」と笑った。

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 同窓会長で門司港レトロビール会長の宮本正吾さん(65)=23期=は「小倉高校を表す言葉は『任侠(にんきょう)とバンカラ』でしょうか。ぼろを着ても、中身は本物。誇りを持ってみんなが通った。信義に厚くて勧善懲悪。先生も生徒も、そんな心を持っていた」

 誇りを抱く高校生活のスタートが、入学直後の応援指導だ。

 「福岡県立小倉高等学校、校歌。右手を高く」。4月、応援団長の稲田圭吾さん(18)の大声が、講堂に響いた。団員が校歌や応援歌、あいさつの仕方などを、新入生にみっちりたたき込む。

 歌詞を覚えていなかったり、声が小さければ、歌い直しだ。かつては、その場で腕立て伏せ…。そんなシーンもあった。

 稲田さんは「厳しくしないと、本気になってもらえない。応援団の先輩からは『目配り、気配り、心配りを忘れるな』と指導を受けた」と語った。

 3日目の最終日。応援団は一転、優しい言葉で新入生をねぎらう。

 「これで諸君らも立派な倉高生だ!」

 団長の号令で1年生が後ろを振り返ると、2、3年生が温かく拍手を送る。

 当時はその厳しさに反発し、卒業後は懐かしむ。それが倉高生にとっての応援練習だろう。

 稲田さんは「応援団の活動は、いろんな人の協力があって成り立つ。感謝の気持ちを忘れない」と語った。

 同じように「感謝」の思いを、倉高生の多くが口にする。

 2年の西宮直志さん(16)は今年5月、米国で開かれた世界最大規模の科学コンテスト「インテル国際学生科学技術フェア」に出場した。中学時代に自作した物体加工用のコンピューター数値制御装置について、英語で説明した。

 「自分の研究を、世界に伝えるとても良い機会になった。コンテスト前には、竹下(徹)校長先生に、英語力を鍛えてもらい、ありがたかった。夢は人の役に立つ物を生み出すエンジニア。大学と連携した授業もあり、夢を実現する環境は整っている」

 校章のデザインも、夢をつかもうとする生徒を表現する。大地の上で両手を伸ばした若者を表し、旧小倉藩主・小笠原家の家紋「三階菱」にもちなむ。

 夢を追った若者は、社会で活躍し、特別な思いで母校と故郷を見つめる。

 JR九州2代目社長(現特別顧問)の田中浩二氏(79)=8期=は、受験勉強一色の高校時代を送った。その甲斐あって、東大に現役で合格した。

 「当時、倉高の男子はみな、いがぐり頭でした。東大で周囲を見渡すと、坊主頭は数人しかおらず、驚いた」と笑う。

 その後、国鉄に入る。民営化後は、JR九州で新幹線開業などに尽力した。「北九州市は鉄道の開通も早く、鉄道会社にとって、重要な拠点でもある。福岡市に比べると高齢化が進み、人口も100万人を切ったが、これからも栄えることを望んでいます」

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 倉高は平成30年、創立110周年を迎える。変化しながら、長い歴史を重ねてきた。

 生徒の男女比も変化の一つだろう。開校以来、男子が女子より多かったが、今年の1年生は、初めて女子の数が上回った。

 校舎も大きく変わった。今年5月に終了した改修工事で、スクールカラーの紫紺が映える新校舎となった。設計したのは、卒業生で豊川設計事務所(北九州市)社長の豊川裕子氏(69)=18期=だ。

 「先輩は後輩の面倒をみる。後輩は先輩の言うことを聞く。個人より連帯という言葉が、倉高には合う。在校時代は教員からのプレッシャーや厳しい指導もあり、学校が嫌いでした。でも、卒業して同窓会の活動に関わるうち、先輩の気遣いや激励がありがたく、後輩のために動きたいと思うようになったんです」

 倉高では早朝や放課後、職員室の前で先生をつかまえて、勉強する生徒の姿がある。豊川氏は自主学習がしやすいように、職員室前の空間を広くするなど、随所に工夫を凝らした。

 かつて、歩くとギシギシと音がすることから、生徒が「ウグイス張り」と呼んだ廊下は、改修で真新しくなった。

 その廊下を、大きな希望と、ときに悩みを抱きながら、高校生が元気に行き来する。その姿は今も昔も変わらない。(高瀬真由子)

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