大韓航空機爆破テロ30年(2)完

金賢姫元工作員、日本文化にハマる2人の子供「お母さんみたいに日本語が上手なら…」  

【大韓航空機爆破テロ30年(2)完】金賢姫元工作員、日本文化にハマる2人の子供「お母さんみたいに日本語が上手なら…」  
【大韓航空機爆破テロ30年(2)完】金賢姫元工作員、日本文化にハマる2人の子供「お母さんみたいに日本語が上手なら…」  
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 「私たちは日本に行っても苦労ばかりして結局、死ぬんだから、アンプル(毒薬カプセル)をかんで死にましょう」

 1987年12月1日、中東バーレーンの空港で、金賢姫元工作員は、日本人観光客の父親役を装っていた金勝一工作員から告げられた。空港で日本大使館職員らに呼び止められ「日本で調査を受けることになる」と言われ、待合室で待たされていたときのことだ。

 大韓航空機爆破の任務が成功したことは知っていた。工作がバレるのは時間の問題。「私の26年足らずの人生はこれで終わるんだと思うと、お母さんの悲しそうな顔が浮かんだ」。捕まってまで生きることは許されなかった。

 計画は想定外の連続だった。通過するバグダッドが「戦時地域」だとして金勝一工作員が変更を申し立てたが、「批准されたものだ」と却下された。工作機関を統括する金正日の指示だと悟った。

 犯行後は、別の航空券でヨルダンに逃れる手はずが、予想外のチェックに引っかかり、カムフラージュ用に用意した当初の航空券でバーレーンに来ざるを得なくなっていた。「全て机上の計画。資金がなく、事前の現地調査なんて全然できなかった」

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