論壇時評12月号

「リベラル保守」名乗る不毛な論争…われこそは正統保守、という言葉遊び 文化部・磨井慎吾

役員室の看板を掛ける(左から)立憲民主党の福山哲郎幹事長、枝野幸男代表、長妻昭代表代行、辻元清美国対委員長=13日午前、国会内(斎藤良雄撮影)
役員室の看板を掛ける(左から)立憲民主党の福山哲郎幹事長、枝野幸男代表、長妻昭代表代行、辻元清美国対委員長=13日午前、国会内(斎藤良雄撮影)

東京都内で17日に開かれた、年2回刊の論壇誌アステイオンの創刊30周年記念フォーラム(サントリー文化財団主催)に参加してきた。時事問題とは距離を置きつつ、国際潮流や文明論など長期的視野の論考を選ぶという特色ある編集方針をとる同誌の30年の回顧は興味深かったが、もっとも印象に残ったのは、政治思想史家の片山杜秀と批評家の東浩紀によるトークセッション「これからの『論壇』」だった。

中でも大きな論点の一つになったのは、知的インフラとしての論壇誌の行方だ。戦前における軍の暴走のような国家システムの失敗を招いた要因は結局のところ市民的理性の未成熟にあったのだから、論壇誌をはじめとするマス媒体を通じて大衆を啓蒙(けいもう)すればいい。戦後のある時点までは自明だったその前提が、1960年代以降生まれの世代ではもう成り立たなくなった。そう片山は指摘する。

一方向的な啓蒙がもはや時代に合わないとすれば、マス向けの商業論壇誌というモデルはおのずと存続が厳しくなる。自ら出版社を経営する東はそうした議論を受け、自身が主宰する雑誌ゲンロンのような、数千から1万の単位で採算を確保し、かつ読者の反応が直接見える「小さな公共圏」を作っていくべきだとのビジョンを説く。アステイオンのように安定したスポンサーの支援を受けるタニマチモデルと合わせて、おそらく今後の論壇誌が進んでいく2大潮流となるのだろう。

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