【話の肖像画】日系2世の政治学者ダニエル・オキモト(3) 最も貧しく最も幸せな日々(1/2ページ) - 産経ニュース

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話の肖像画

日系2世の政治学者ダニエル・オキモト(3) 最も貧しく最も幸せな日々

正装したオキモト家の家族写真(前列中央、提供写真)
正装したオキモト家の家族写真(前列中央、提供写真)

 中学のときに引っ越したカリフォルニア州パサディーナは裕福な白人が多く住む町で、日系人は学校に私1人という状態でした。私は町で最も貧しい中学生でした。それでも最も幸せな中学生でした。人一倍努力すれば、成功するとわかっていました。両親は努力家で、私にも努力するよう求めました。

 両親は私に日本語で話し、私は両親に英語で話していました。ですから私は日本語が分かります。私が一番恐れていた日本語は「怠け者」でした。最大級の批判である「怠け者」と言われないよう、努力しました。

 家族を養うために2つの仕事をしていた父を週末に助けるのが、兄たちと高校生の私の仕事でした。週末が大嫌いでした。友人たちはバスケットボールなどをして遊ぶのですが、私は庭仕事です。

 ある日、庭仕事をしていると、その家の女性が「何を将来やりたいの」と話しかけてきたので「大学に行って外交官になりたいです」と答えました。希望の進学先を聞かれたのでスタンフォード大と答えると、彼女は大声で笑いました。大変な屈辱感を味わいました。彼女には、私が名門大学を志望するのがおかしかったのです。その家の子供部屋にはスタンフォード大のエンブレムが貼ってありました。

 自尊心を傷つけられた私は、スタンフォード大が大嫌いになり、絶対に進学はしないと、心に誓いました。そのスタンフォード大でその後、42年間も過ごすとは思いませんでした。(笑)

 事件の後、進学を決めた東海岸のプリンストン大では、同級生より知識で2年は遅れていると悟り、死にもの狂いで勉強しました。私にできることは一生懸命に努力することだけです。朝6時に起きて夜は1時、2時まで勉強し、土日も一日中勉強。クリスマス休暇も大学に残り、勉強しました。期末試験では、及第できないと思い、「お父さん、お母さん、落第することを許してください」と寝言でうなされていたそうです。