阿比留瑠比の極言御免

「東京裁判」史観克服の遺言 日米同盟の深化が必要だからこそ占領の影響を克服せよ

国士舘大学で開かれた「東京裁判」シンポジウム=11月2日、東京世田谷区(飯田英男撮影)
国士舘大学で開かれた「東京裁判」シンポジウム=11月2日、東京世田谷区(飯田英男撮影)

 東京都世田谷区の国士舘大で今月2日、占領下で連合国が行った極東国際軍事裁判(東京裁判)が日本人の精神に及ぼした影響を考える「第2回『東京裁判』シンポジウム」が開催された。筆者も参加したこのシンポで、司会者と報告者を兼務していた篠原敏雄国士舘大教授が、わずか1週間後の9日にがんで亡くなっていたと知った。

命削る覚悟で訴え

 「学界では1960年代までは東京裁判肯定論、すなわち戦前の日本は侵略と残虐行為を重ねたという見方が主流だった」

 「いまだに戦前の日本は、残虐な国家だと言い募るメディアもある」

 シンポでこう訴えた篠原氏の顔色は朝から尋常なものではなく、何らかの病を得たのは明らかだった。昼の休憩を挟んで7時間にもわたったシンポの最後には顔色はさらに悪化していたが、口元には笑みをたたえていたのが印象的だった。

 夜の立食懇親会の場でも、言葉少なく好きなビールもほとんど飲んでいなかった。ただ、端から様子をうかがうと、どこか晴れ晴れとした表情にも見えた。

 周囲がいぶかり、体調を気遣っても、篠原氏はただ「大丈夫、大丈夫」とだけ答えて病状を明かさなかったという。今にして思えば、命を削る覚悟でシンポに臨んでいたのだろう。

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