【寄稿】作家・澤田瞳子 「怖い絵」展 己の中の恐怖と向き合う(2/3ページ) - 産経ニュース

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寄稿

作家・澤田瞳子 「怖い絵」展 己の中の恐怖と向き合う

 実は私にとって、この絵は長らく憧れの作品だった。それというのも約百年前にロンドンに留学した夏目漱石がナショナル・ギャラリーでこの作品に接し、その印象に基づく想像を「倫敦(ロンドン)塔」に記しているからだ。そしていざ、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の前に立って、驚いた。ジェーンの斬首を夢想した漱石が、「余の洋袴(ズボン)の膝に二三点の血が迸(ほとば)しると思ったら、凡(すべ)ての光景が忽然(こつぜん)と消え失せた」と書き記したように、次の瞬間、後ろに飛び退(しさ)らずにはいられない光景が始まるという恐怖が、ひしひしとわが身に迫ってきたからだ。

 お化け屋敷においてわれわれは、後ろから幽霊役に脅かされて跳ね上がるという瞬間的な恐怖を体験するが、この「怖い絵」展にはそれとは反対に、目の前の作品の意味を知ることで引き起こされる重層的な「恐怖」がある。この段階的な恐怖は、想像力を有す人間独自の感情。それゆえわれわれは愛らしい「マリー・アントワネットの肖像」を見て彼女のその後の運命に慄然(りつぜん)とし、シンプルな構図の「森へ」を前にして、寄り添う2人の向こうに広がる森の暗さにおびえる。