半島有事 起こりうる危機(下)

対馬海峡波高し…「李承晩ライン」相次いだ漁船拿捕

【半島有事 起こりうる危機(下)】対馬海峡波高し…「李承晩ライン」相次いだ漁船拿捕
【半島有事 起こりうる危機(下)】対馬海峡波高し…「李承晩ライン」相次いだ漁船拿捕
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 朝鮮半島と九州・山口の間に広がる対馬海峡は、豊かな漁場として知られる。だが、半島の緊張が高まれば、この豊かな海域は、国境の海として「戦場」に様変わりする。65年前、対馬海峡で操業する日本の漁船が韓国当局に次々と拿捕(だほ)された。生きて故郷の地を踏めなかった乗組員もいた。

 1952(昭和27)年1月、韓国の李承晩大統領(1875〜1965)が「隣接海洋に対する主権に関する宣言」を出した。

 半島周辺の広大な海域に一方的に線引きし、主権を主張。日本漁船の排除を目指したものだった。

 日米両国は「国際法上の慣例を無視している」と抗議した。しかし、サンフランシスコ平和条約の発効前で、日本の主権は回復していなかった。海上自衛隊の母体となる「海上警備隊」も発足していなかった。

 朝鮮戦争の最中であった。米国も戦争遂行を考えれば、李に強く出ることはできなかった。

 この宣言前後から、韓国による日本漁船の拿捕が頻発した。

腐った魚

 1955年2月8日、福岡市の木造漁船、第1筑紫丸と第2筑紫丸(いずれも約70トン)が韓国警備船に拿捕された。乗組員の一人、石井作男氏は6カ月間の懲役刑に服役した。手記が残る。