本郷和人の日本史ナナメ読み

「城攻め」の謎(上) そもそも武士が籠城する目的は?

攻め寄せた鎌倉勢から身を守るため、佐竹氏は常陸太田市の金砂城に立て籠もります。いま城とはいいましたが、有り体にいうとただの小山?険しい丘陵?ですね。そこで佐竹氏は防御を固めた。実際に行くと、もう、ひーこら言わないと登れない険峻(けんしゅん)な地で、ここで佐竹の兵が長く生活できる実感が湧きません。水の手は確保してあったとしても、食糧の補給はひと苦労だし、大勢の兵が休息のため横になれる平らな土地がない。

ぼくは思わず、こんな城、放っておいてやることはできなかったのかなあ、頼朝は、とつぶやきました。だけど、考えてみると、それはダメなのですね。鎌倉勢が帰ると、佐竹氏は山から下りてきて、また常陸太田周辺の支配を始める。城の下に警備の兵を置いておき、佐竹兵が下りてきたら捕捉して合戦するのも一案でしょうが、まあ攻め落としてしまった方が手っ取り早い。というわけで、頼朝は総攻撃の末に城を落とし、佐竹氏を完全に屈服させ、家臣団に組み込みました。脅威を排除するための城攻め、ですね。

もう一つ例を挙げると、有名な楠木正成の千早・赤坂城の戦いです。後醍醐天皇の命を受け、河内の楠木氏が「反鎌倉幕府」の兵を挙げた。幕府としては、正成の首級を挙げねば、一大事に発展する可能性がある。そこで軍勢を編成して、ロコツに言うなら、正成を殺しに行った。すると彼は城に立て籠もった。これは必然的に城攻めに発展します。

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