正論

今こそ「海ゆかば」の精神を 断絶された日本文明の歴史を回復するには必須だ 文芸評論家、都留文科大学教授・新保祐司

 そして、もう1つは、日本以外の7つの文明には2カ国ないしそれ以上の国々が含まれているのに、「日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない」ことである。

 つまり日本は一国一文明なのであり、ある意味でこれほどの栄光はないであろう。しかし、逆にこの孤立は悲劇的ともいえる。だから今後の日本人に問われるのは、この悲劇的な栄光を保持し続ける意志があるかどうかである。

「おずおずと」してはならない

 この20年ほど前の本で、ハンチントンは「2010年」に仮定した米中衝突のシナリオを書いているが、そこで「中国が軍事的に勝利したのを見て、日本はおずおずと中国にすり寄りはじめ、正式の中立から積極的に中国寄りの中立へと立場を変え、やがて中国の要求にしたがって参戦国になる」と想定している。

 このシナリオについては、既に「訳者あとがき」に「議論の余地があるだろう」とされているが、日本人が一国一文明の宿命に耐え続ける覚悟ができず、「おずおずと」した精神であるならば、「近代化されたが、西欧にならなかった」日本の文明は、「独自の文明」として立ち続けることの困難に直面するのではないか。

 この予測に憂鬱な気持ちになっているとき、富山県高岡市に行く機会があり、『万葉集』と大伴家持のことを改めて考えることになった。ハンチントンは、日本が独自の文明をもつようになったのは紀元5世紀ごろと書いたが、『万葉集』の最後の大伴家持の歌が詠まれたのは8世紀半ばだ。

 日本の「独自の文明」がはっきり姿を現したのはこの頃だったのではないか。なぜ高岡で家持を思い出したかといえば、家持は28歳から33歳までの5年間ほど越中守として滞在したからである。高岡に行って今年が大伴家持生誕1300年であることを知った。

「海ゆかば」の復活は必須だ

 正岡子規生誕150年であることは知っていた。しかし、近代が終焉(しゅうえん)したように感じられる今日、「近代短歌」の子規よりも『万葉集』の家持の方がはるかに時代が古いにもかかわらず、私の精神に、よりアクチュアルなものとして迫って来るのはなぜだろうか。

 「文明の衝突」の時代に、日本文明のアイデンティティーの再発見が必要とされており、家持の精神の中にそれがあるからではないか。家持個人の精神というよりも、「大伴氏の言立(ことだて)」を自覚し回想した家持の精神といった方が正確かもしれない。

 『万葉集』に収められた家持の長歌の中で、最大の長歌が巻第18にある「陸奥国に金を出(い)だしし詔書を賀(よろこ)びし歌」である。天平感宝元(749)年5月12日、家持が越中守のときの32歳の作である。家持は、この長歌の中で「大伴氏の言立」として「海行かば水漬く屍(かばね) 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ」と詠(うた)ったのである。

 交声曲「海道東征」の作曲家・信時潔が、昭和12年にこの「言立」に曲を付した「海ゆかば」こそ、戦前の日本の最深の音楽であった。それは、遥(はる)かな『万葉集』の時代から昭和の戦前までの日本の歴史を貫く響きでもあった。

 しかし、敗戦後、この曲は「封印」された。日本文明の歴史が断絶されたのである。本来の日本文明を回復して立ち続けるためには、この名曲の復活が必須であろう。この宿命的な音楽に、日本文明の核があるからである。(文芸評論家、都留文科大学教授・新保祐司 しんぽゆうじ)

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