江戸時代初期に初代松江藩主になったばかりの堀尾忠氏(ただうじ)が家臣に宛てて出したとみられる文書が見つかり、松江市が26日発表した。忠氏は間もなく急死したため残された文書は極めて少なく、調査した松江歴史館は「忠氏による松江藩統治の始まりを示す貴重な資料」と評価している。
見つかったのは、忠氏が家臣に与えた石高などを示す「知行目録」と呼ばれる文書(縦31センチ、横45センチ)。6人の家臣の名が挙げられ、出雲国内の3カ所の知行地や、6人それぞれの石高などが記されている。慶長6(1601)年3月27日の日付がある。
前年9月の「関ケ原の戦い」で功績を挙げ、出雲・隠岐2国を与えられた忠氏は、同年11月に当地へ移ったとされ、合戦から半年という慌ただしさの中で書いたとみられる。松江歴史館では「短期間で領地を統治しようとした忠氏の熱意がうかがえる」としている。
文書の末尾には忠氏の署名があり、「誉」の朱印が押されている。文書を受け取った家臣が、堀尾家の断絶後に和歌山藩へ移り、その縁戚関係にあった和歌山藩士が受け継いでその家系に残されていたという。
同館では11月17日〜来年1月17日、この資料を公開する。