【ハイ檀です!】マエビ - 産経ニュース

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ハイ檀です!

マエビ

僕をエビ好きに“転向”させたマエビ
僕をエビ好きに“転向”させたマエビ

 博多湾は、素晴らしい湾である。大都会である博多を背にして扇状に広がり、玄界灘に接する場所には、志賀島や玄界島が鎮座し波除けとなっている。湾の中ほどには能古島があり、余程のことがない限り湾内が荒れ狂うことはないようだ。最近、週に2回ほど超大型客船が博多埠頭に接岸、博多の街に大勢の観光客をもたらせている。

 昔、博多湾には、遣隋使や遣唐使の出入国をした港があったと聞いている。現在の競艇場辺りに位置する那の津が、海外進出の拠点だったようだ。近くには櫛田神社や水鏡天満宮があり、旅の安全を祈願したとも言われている。水鏡天満宮は都を追われ太宰府に左遷された菅原道真が、長旅に疲れた顔を水に映して憂いたことから、今泉付近に容見(すがたみ)天神として建立され、後に現在の場所に移され水鏡天満宮となった。近くの天神町は、この水鏡天満宮に由来したもので、通りゃんせの歌は道真公を謳(うた)ったものとして知られている。

 隋や唐の国から多くの文化を学んだ日本であったが、何と遣唐使の制度を廃止したのは、菅原道真公だったとされている。当時、唐の国に使節団を派遣する為には莫大な経費がかかったし、嵐による遭難や行方不明になった使節団も多発。加えて、唐の国内における政治的な荒廃も、日本にとっては大きなリスクとなっていたようだ。そんなお荷物のような使節団の廃止という英断を評価され、ついには右大臣まで上り詰めた道真公であったが、当時の上司である左大臣藤原時平に疎まれて、太宰府へ左遷。世を恨みつつ認めた短歌も多く、そのことでも道真公は有名。

 現代の博多湾だが、半世紀ほど前は素晴らしい海であった。魚は豊かであったし、生の松原から糸島に向かう海岸線は素晴らしく美しかった。海の中道に向かう海辺には、潮の満ち引きによって姿を変える干潟があり、多くの鳥たちの憩いの場であった。が、列島改革の旗印の許に、干潟を埋めて人工島の造成、博多港周辺の大規模な埋め立て工事が重なった。これで海の流れが変わると同時に、博多湾の面積は狭くなり豊かだった海の幸も激減。多くの漁師達は、保証金を給付され漁業から撤退。だが、漁師さんの中には、改善の兆しのない不漁を嘆きながらも、細々と漁を続けて居られる方々も少なくはない。

 日曜祭日以外の早朝、姪浜市場を訪れると博多湾周辺で漁れた魚介類が並べられている。今の季節ならば、タイ、ヒラメ、トンバ(ヒイラギ)、モチノウオ(イシモチ?)、アナゴ、アジ、サバ、イカ、タコ等等…。そんな中に、マエビ(真エビ?)と呼ぶクルマエビによく似た大きいエビが水揚げされている。クルマエビとは違い、陸にあげると直ぐに弱るし、殻は柔らかく脱皮したてのクルマエビのようでもある。が、このエビ、とてつもなく旨い。エビフライにしても、塩焼きにしても、はたまた中華風にエビチリにしても唸るほどにおいしい。しかも、クルマエビの三分の一程度の価格。惜しむらくは、日持ちしないのが理由で、ほとんど流通はしていないとのこと。恐らくは、博多湾界隈の魚屋さんだけが扱っている、幻の食材ではなかろうか。

 あまりにもおいしいエビなので、図鑑やインターネットで調べてみたが、未だ満足のいく答は辿り着けない。そこで意を決し、マリンワールド海の中道に電話をしてみた。さすがに有名な水族館だけあって、応対は素晴らしく丁寧。恐らく、甲殻類の専門家に取り次いで頂いたのであろうが、僕の拙(つたな)い電話での説明では、結論が出ない。それでも何となく、芝海老か赤海老ということになったが、僕の見解では体長が20センチ以上あるから芝海老とは思えないし、赤海老ほど赤くはない。かなり旨いエビだから、名前はマエビでよかったのだが、ひょっとすると遣唐使の帰りの船の船底に、エビの卵が付着し博多湾で孵化、その末裔(まつえい)が博多湾に住み着いた、という妄想が沸々と湧いてくる。

 どうであれ、ほんの短い間だけ手に入る幻のようなマエビ。もし手に入ったら、バターと小麦粉と牛乳を混ぜホワイトソースを作る。そこにマヨネーズとトマトケチャップを加えて混ぜたものが、有名なオーロラソース。このソースを、茹でたてのマエビと絡めると、超高級な料理に変身する。エビが大嫌いだった僕を、エビ大好き人間にしたのが博多湾のマエビである。

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 だん・たろう 1943年、作家・檀一雄氏の長男として東京に生まれる。CFプロデューサー、エッセイストとして活躍し、「新・檀流クッキング」などの著書多数。妹は女優の檀ふみさん。