【関西の議論】〝お利口さん〟ではたどり着けない…世界最強「ネオジム磁石」はたった1人の実験から生まれた(3/5ページ) - 産経ニュース

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関西の議論

〝お利口さん〟ではたどり着けない…世界最強「ネオジム磁石」はたった1人の実験から生まれた

 ある夜、いつものように7ミリ角ほどの立方体の試作品を鉄に近づけた。

 「パチン」

 試作品が引き寄せられるように鉄にくっついた。「やったー!」。1人で万歳して喜びをかみしめた。ネオジム磁石の原形が生まれた瞬間だった。

 その後入社した住友特殊金属でネオジム磁石を完成。元素の配合割合などを変えた約50の組成リストを作り、研究を深めた結果、リストの2番目が「世界最強」となった。

 当初は、50度を超える温度で磁力が落ち、「おもちゃにしか使えない」とがくぜんとしたこともあったが、別の元素を加えることで150度まで使えることを発見し、60年に量産が始まった。

「湯川博士のように」

 大学での分野とは異なり、社会人となってからの研究が花開いた佐川氏。子供の頃から理科が好きな少年だったといい、6歳のころ、昭和24年に湯川秀樹氏が日本人初のノーベル賞を受賞したときは「幼心に、英雄のような感じがした。『僕は科学者になってノーベル賞をとるんだ』と言っていた」

 幼少期を岐阜県で過ごし、戦後は徳島市で暮らした後、兵庫県尼崎市へ。中学、高校と多感な時期を過ごした。理数系が得意で、科学者になるという思いが確実になったのも中学時代。日本は高度成長期を迎えており、「どんどん社会が発展していくのを肌で感じながら、『自分も得意分野を生かして貢献したい』という思いが膨らんだ」

 授業の予習復習を毎日こつこつと欠かすことはなく、成績は学年で5番くらいを常にキープ。大学は、家庭の事情を酌んで浪人できないと考え、神戸大工学部電気工学科に進学した。