「二足のワラジを履く」とは、単に一人で2つの職業を兼ねる、という意味ではない。たとえば、江戸時代にばくち打ちが十手(じって)をあずかるような、2つの職業が両立しない場合を指す。
▼小池百合子東京都知事(65)が代表を務める新党「希望の党」は昨日、結党会見を行った。知事と国政政党の党首、小池氏の「二足のワラジ」についての質問も当然出る。公務のため途中退席した小池氏に代わって、細野豪志元環境相が答えていた。「小池氏は、『運動靴とヒールを履き分ける』と言っている」。いかにもイメージ先行の新党らしい物言いである。
▼「アウフヘーベン」や「リセット」などカタカナ語を多用する小池氏だが、「希望」の二文字にはこだわりがあったようだ。すでに今年2月に新党の名前を特許庁に商標出願していた。希望といえば、有名なギリシャ神話を思い出す。
▼ゼウスは高慢になった人間をこらしめるために、人類最初の女性となるパンドラに壺(つぼ)を持たせて送り出した。パンドラが壺の封を切ると、病気、戦争、災害などあらゆる不幸が飛び出した。壺の底に残っていたのは「希望」だけである。
▼今日、衆院本会議の冒頭で解散が宣言される。恒例の万歳三唱の声が衆院本会議場に響くと、議員身分を失ったセンセイたちは、いっせいに全国の選挙区に飛び散っていく。作家の阿刀田高(あとうだ・たかし)さんは、この風景こそ、現代の「パンドラの壺」だという。
▼選挙運動の最中には、利権のからんだ取引など諸悪がばらまかれ、選挙民に残されるのは、「かろうじて少しはよくなるのじゃあるまいかという希望だけ」(『ギリシア神話を知っていますか』)。それは違う、というのなら、中身のある政策論争を繰り広げてほしい。