昭和の批評家で、保守の論客としても著名だった福田恆存(つねあり)。彼の次男、逸(はやる)が刊行した回想録『父・福田恆存』を読んでいたところ、膝をたたきたくなるような福田の言葉に出合った。
「翻訳は自国語によって他国の領土を掠め取り、そうすることによって、自国語の語義や語法を拡張しようとする文化的・平和的略奪行為である」
福田はいわゆる「保守」ではあるが、日本一国で自足すればいいという閉鎖性、ましてや排外性とは無縁であった。そもそも専門は英文学で、シェークスピア戯曲の翻訳を通じ日本の劇言語の拡張を試みた人である。そこには日本語の文学や思想の拡張、つまりは日本を知的に「富国強兵」するためには外国の知識が必要なのだ、という思考の理路があった。
ひるがえって現在。かつて「翻訳大国」と言われた日本の文化輸入の土台は怪しくなってきている。出版界では海外文学が売れなくなったと言われて久しい。学術書も以前なら当然訳されていた定評ある本が最近は翻訳されないと嘆く研究者は多い。それは、近年の海外の知的動向が日本に紹介されなくなっていることを意味している。
そんな中でゲンロン6の特集「ロシア現代思想I」は、これまで日本の一般読者には全くの空白地帯だったソ連崩壊後のロシア思想を俯瞰(ふかん)する出色の試みである。