テレビがお茶の間の中心だったころから数多くの名作ドラマを手がけてきた脚本家の山田太一さん(83)にとって、昭和58年にTBS系で放送された「ふぞろいの林檎(りんご)たち」には複雑な思いが残っている。学歴社会にもまれる若者群像が評判を呼び、平成9年のパートIVまでシリーズ化されたものの、本当は2作目で終わりたかったと打ち明ける。それほど時代の変化は激しかった。(聞き手 藤井克郎)
できない子なりの生き生きとした部分をドラマにしたいと思った
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「ふぞろいの林檎たち」を書くことになったのは、あの当時、大学生があまりテレビを見なくなったといわれていたことがきっかけです。だったら大学生の現実をドラマにしたらどうかということで、初めは東大とか京大とか、いわゆるエリート校の学生たちの話を書こうかと思って調べてみた。でもそれがそんなに面白くないんですね。
ところがちょっとランクの低い大学に通っている学生たちを取材すると、彼らは自分の大学名を隠すというんです。女子学生と付き合うにも自分のことを正直には話せないということが分かってきた。しかも付き合ってくれる女の子も、やはり学校のランクを下げて選んでいる。
大学によっていろいろと違うんだなということが分かっていって、それを書いてみたくなった。できない子なりの生き生きとした部分も含めて、ドラマにしたいと思ったんです。
《4流大学に通う3人の男子学生が、家族や恋人らとの軋轢(あつれき)でもがき苦しみながら、自分たちの生き方を模索していく「ふぞろいの林檎たち」は、昭和58年5月からTBS系で10回にわたって放送。主役を演じた中井貴一、時任(ときとう)三郎、柳沢慎吾のほか、手塚理美(さとみ)、石原真理子らフレッシュな配役にサザンオールスターズの音楽が話題を呼び、若者を中心に人気を集めた。その後、60年には卒業後の彼らの姿を描くパートIIが作られ、平成3年にパートIII、9年にパートIVとシリーズ化された》
1作目が意外なほど評判がよくて、続きを作ることになったが、そうすると必然的に就職することになるわけです。何とか入社はしたものの、学歴社会の中で大変な苦労をするという話を中心に、さらに生き生きした人間模様も入れ込んで書いたのですが、このIIまでは割とうまくいったと思っています。