坂東武士の系譜・第2部(2)

塩谷朝業 将軍実朝の信頼厚い和歌名人

塩谷朝業の和歌を刻んだ歌碑=栃木県矢板市館ノ川の川崎城跡
塩谷朝業の和歌を刻んだ歌碑=栃木県矢板市館ノ川の川崎城跡

 うれしさも匂(にお)ひも袖(そで)にあまりけり わがためおれる梅のはつ花

 「私のために梅の初花の枝を折って、お届けいただき、わが家は梅の香りが漂い、私の心はうれしさでいっぱいになりました」

 矢板市が紹介している塩谷朝業の和歌は、鎌倉幕府3代将軍・源実朝(さねとも)から送られた和歌に対する返歌。朝業が風邪で勤めを休み、心配した実朝が梅の枝と和歌を送った。しかも、送った歌には名はなく、「送り人知らず」で届けられたが、朝業は、すぐに実朝からだと悟り、返歌を送った。何とも甘く、公家っぽい感じだが、2人には主従関係を超えた心の交流があり、朝業に対する実朝の信頼が厚かったことがうかがわせる。

 朝業は矢板市のキャラクター「ともなりくん」のモデル。和歌のイメージが強く、ともなりくんは紫の烏帽子(えぼし)が目立つ公家風スタイル。朝業自身は文武両道の殿様で、塩谷氏の本拠地となる川崎城(同市川崎反町、館ノ川)を築城した。もちろん和歌の腕前も確かで、兄・宇都宮頼綱と共に宇都宮歌壇の形成に貢献している。

 実朝が生まれた1192(建久3)年は、源平合戦を勝ち抜き鎌倉幕府を開いた源頼朝が征夷大将軍に任命された年。朝業は宇都宮氏の出身で、このころ塩谷氏の養子になり、塩谷氏は宇都宮氏の一門として再編される。父、宇都宮成綱(なりつな)(業綱)は若くして死去した。