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皇室は「世界に誇ることができる制度」…碧い眼の神道学者が見た日本 論説委員・山上直子

 ポンソンビは明治11年、ロンドン生まれ。幼少期は体が弱く、海外で静養することが多かった。南アフリカ総督秘書官として赴任したのを皮切りに外交官となり、34年に初来日。このとき、日本の歴史や風物に強く興味を引かれたという。

 2年後、香港に赴任。その後もたびたび日本や台湾で過ごし、大正4年、初の研究本「日本皇室譜」を出版した。王権神授説の立場から日本の皇統継承を考察したもので、皇室について「世界に誇ることができる制度」と述べている。

昭和天皇の通訳も

 大正8年に退職して後は東京・本郷に居を移し、特に神社発達史の研究に打ち込んだ。10年には当時、皇太子だった昭和天皇の外遊に際し、滞在中だった英領香港で通訳として接待役を務めている。

 「その際、随員の一人だった東北出身の外交官、珍田捨巳(ちんだ・すてみ)(後に侍従長)よりも日本語が巧みであると、おほめいただいたそうです」(新木さん)といった笑い話も。その後、摂政となった皇太子に再び拝謁し、勲四等瑞宝章を受けた。

 今回、豊かなひげをたくわえた和服姿の肖像が復元されている。自ら考えた和名は「本尊美利茶道(ポンソンビ・リチャード)」だ。関東大震災後の大正14年には京都に移住し、神道史、神社史、京都史などを精力的に執筆した。下鴨神社との縁は、昭和6年に同社の英文解説の依頼を受けたことに始まり、12年に営まれた式年遷宮正遷座祭にも参列している。

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