田中一世の政界徒然草

参院自民党に新たなドンが誕生か? 青木幹雄氏譲りの老獪さ 国会終盤に秘めたる腕力見せつけ…

 「参院自民党は120人以上いる。最大派閥の細田派より多い勢力が、今はよくまとまっている」。吉田氏の側近議員は胸を張る。内閣支持率が低迷し、政権が不安定化する中、首相としても参院の協力はますます欲しいはずだ。憲法改正に向けた動きなどが焦点になる秋以降の政局で、参院自民党と吉田氏の動きから目が離せない。

(政治部 田中一世)

 青木幹雄(あおき・みきお) 昭和9年6月8日、島根県出雲市生まれ。郷土の先輩、竹下登元首相と同じく早稲田大に入学し、雄弁会に所属。大学を中退し、竹下氏の秘書を務める。島根県議を経て昭和61年の参院選島根選挙区で初当選。当選4回。竹下氏側近として頭角を現し、平成10年に参院自民党幹事長、11年に官房長官。12年に当時の小渕恵三首相が病で倒れた際は3日間、首相臨時代理を務めたが、意識不明が疑われた小渕氏から「万事よろしく頼む」と指示があったと主張し、物議を醸した。

 続く森喜朗内閣でも官房長官を務めた後に、参院幹事長に復帰。死去した竹下、小渕両元首相の後を受け実質的に平成研究会(現額賀派)を仕切った。閣僚の派閥推薦を受け付けなかった小泉純一郎政権にあっても、小泉氏と信頼関係を築いて「参院枠」を死守。16年に参院自民党会長に就任し、「参院のドン」の地位を確立した。22年参院選で長男の一彦氏に地盤を譲り現役を引退したが、現在も多くの議員詣でを受け影響力を保っている。

 内閣支持率と与党第一党の政党支持率の合計値が「50」を割り込むと政権運営は程なく行き詰まるーとの「青木の法則(青木率)」を経験則に基づき唱え、現在も永田町に伝わっている。

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