沈没戦艦「陸奥」を引き揚げ…半世紀前に大プロジェクト

 長崎・五島列島沖で、旧日本海軍の潜水艦の沈没位置が特定された。今後、引き揚げも議論されるだろうが、半世紀近く前、山口県沖の海底から、巨大戦艦「陸奥」を引き揚げるビッグプロジェクトがあった。技術者として作業に携わった花戸忠明氏(77)=現・深田サルベージ建設中国支社長補佐=の目には、「引き揚げは日本人の責任だ」と周囲を引っ張る社長の姿が残っている。 (大森貴弘)

 陸奥は昭和18年6月、周防大島沖で爆沈した。総員1471人中、1121人が犠牲になった。船と遺骨は戦後も放置された。4万トン近い大きさに加え、潮流が速く作業が難しかった。

 深田サルベージ(当時)が、引き揚げに着手した。「国有財産」である沈没船の払い下げ契約を結び、45年7月、作業が始まった。

 花戸氏は35年に深田サルベージに入社した。軍艦引き揚げに本格的に関わるのは、陸奥が初めてだった。

 潜水士が船体にワイヤを巻き付け、クレーン船で引っ張り上げる。引き揚げの基本的な手順だ。

 花戸氏は潜水士の母船に乗り込み、作業員とクレーン船の連絡を担った。若いが「作業長」と呼ばれた。

 今は水中でも使える電話があるが、当時そんな手段はなかった。唯一の連絡方法は、潜水士に空気を送るホースだった。ホースを2回引けば位置を「上げろ」。3回だと「下げろ」。ホースを頼りに、潜水士にワイヤの巻き付け位置などを指示した。

 ●切れたワイヤ

 まず、爆発でちぎれた艦尾部分に狙いを定めた。部分といっても、重さは推定約1千トンもあった。

 深田サルベージは、1500トンをつり上げられる巨大クレーンと、1本で100トンに耐えるワイヤを用意した。ワイヤは艦尾の8つのポイントに2本ずつ、計16本を巻き付けた。

 7月22日朝。巻き上げが始まった瞬間、ワイヤが水中で切れた。バランスが崩れて、ワイヤを取り付けた1カ所に、計画以上の重さがかかったと推測された。

 「太さ10センチもあるワイヤが切れるなんて、夢にも思わなかった。切断の瞬間は、ずーんという音を聞いたような気がします。でも、記憶が上書きされてそう感じただけで、実際は聞いていないかもしれません。とにかく、そんな派手な音はしなかった」

 艦尾の引き揚げは後回しにされた。

 翌日、第4砲塔を引き揚げた。今度は順調に進んだ。水面から41センチ砲が姿を見せた瞬間、花戸氏の目から、自然に涙がこぼれた。砲塔は陸地に運ばれた。花戸氏も砲塔内部に入り、遺骨の確認や清掃をした。

 砲塔内部からは、フルネームの彫られた印鑑が見つかった。戦時中、海軍の査問委員会が、放火を疑った乗組員の名前だった。

 艦尾は、そのままでの引き揚げを断念した。ダイナマイトで2つに割って、46年に引き揚げた。

 ●4億円の損失

 深田サルベージの前にも、陸奥引き揚げを検討した企業は複数あった。だが、作業が難しく、引き揚げた船の部品を売却しても、採算が合わないと、二の足を踏んだ。

 爆沈時の艦長夫人ら遺族と生存者が、政府に引き揚げを働きかけた。手をさしのべたのが、深田サルベージの社長だった深田鉄次氏(故人)だった。

 「遺族だけの問題じゃない。日本人みんなの責任なんだ」。反対を押し切り、引き揚げを決断した。

 だが昭和48年、深田サルベージは第1次オイルショックによる経営危機に見舞われた。他社の傘下で再建を目指すことになった。陸奥引き揚げは中止せざるを得なかった。引き揚げは、4億円以上の損失を会社に与えていた。

 それでも船体の3分の2を引き揚げた。海底に残された部分も潜水士が探索し、計3671個の遺骨を回収した。

 花戸氏は語った。

 「社長は作業員への差し入れに、大量の肉を抱えて現場に来るような人でした。口癖の『ごくろうじゃのう』という広島弁が、今も耳に残っています。親分肌で、頼まれて断り切れなかったのでしょう。経営的には失格かもしれないが、できる限りの遺骨は回収できた。後は、このままそっとしておくのが良いのではないでしょうか」

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■今も残る戦没船、3千隻超30万柱が海底に眠る

 さきの大戦で沈没した日本の船舶は、軍艦と商船を合わせて、少なくとも3千隻を超えるとされる。厚生労働省によると、軍人や船員、輸送船に乗っていた女性や子供も含め、約30万柱の犠牲者が海底に眠ると推定される。

 このうち日本近海で約380隻、フィリピンや東南アジアなどの海外で約150隻を引き揚げ、計約4千人分の遺骨を収容した。

 採算面から引き揚げられる船は、昭和50年までにほぼ作業を終えたという。平成27年、フィリピン・シブヤン海の水深1千メートル地点で戦艦「武蔵」が見つかり話題になった。大和も東シナ海の水深340メートル地点で確認されているが、いずれも引き揚げには、多額の費用がかかる。そもそも「沈没船は船乗りの墓標」という考え方もある。

 また、九州工業大などによる調査で判明した長崎・五島列島沖の潜水艦24隻について、深田サルベージ建設中国支社の大澤秀夫支社長(59)は「費用を考えなければ、技術的には引き揚げは可能だと思う」と語った。

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