北朝鮮が3日、6回目の核実験を行った。北朝鮮の一連のミサイル、核の脅威への、日本と世界の対処が鮮明なコントラストを成す。
世界で唯一、国家主権の核心を成す「交戦権」を憲法で否定している国、いざというときには戦争に訴えてでも自国を守る権利を放棄して、専守防衛だと言い続ける日本国の姿は特異である。
8月29日の中距離弾道ミサイル発射には北朝鮮に親和的な韓国の文在寅大統領でさえも「韓国軍の報復能力」を示すとしてF15戦闘機4機を飛行させ、金正恩朝鮮労働党委員長の斬首作戦を想定した爆弾投下訓練で応じた。
対照的に日本は、ミサイル発射にも核実験にも、「情報収集と分析」を急ぎ、「最も強い表現」で抗議し、国連安全保障理事会緊急会合でさらに強い制裁をと、呼びかけるばかりだ。それも大事だが、力の担保なく発せられる言葉にはおのずと限界がある。
その限界ゆえに、文明国は十分な話し合いの後の最終的手段としての実力行使を準備する。日本にはその最終手段を準備する気概が欠けている。核武装の議論は無論、ほとんど無意味な専守防衛の発想から脱しようとする議論も封じ込まれている。