浪速風

残心サッカーが結実したサムライ・ブルー 天から「日本サッカーの父」の祝福の声

対オーストラリア戦の前半、ゴールを決める浅野拓磨=埼玉スタジアム(中井誠撮影)
対オーストラリア戦の前半、ゴールを決める浅野拓磨=埼玉スタジアム(中井誠撮影)

サッカーのボールは太陽のシンボルといわれる。太陽を奪い合うゲームは、農民たちの豊穣(ほうじょう)信仰と結びつき、村をあげて熱狂した。これが国同士になると、ナショナリズムが激しくぶつかる。ワールドカップ(W杯)が「武器を持たない戦争」と形容されるゆえんであろう。

▶1960年に西ドイツ(当時)から招かれたクラマー・コーチは、選手たちに「ツァンシンという言葉を知っているか?」と尋ねた。剣道用語の「残心」で、辞書には「撃突した後、敵の反撃に備える心構え」とある。「競り合いに勝ったと思っても、決して油断してはならないし、次の状況に対応できる準備を忘れてはいけない」

▶半世紀以上の時を超えて、「サムライ・ブルー」のユニホームが躍動した。残心サッカーはオーストラリアに攻撃の糸口すら与えなかった。テレビで観戦していると、得点シーンで窓の外から歓声が聞こえた。「日本サッカーの父」の天からの祝福に思えた。