憲法第26条の義務教育の条項との整合性や、どの時期を想定しているのかなど、教育の無償化を憲法に規定することの是非はある。しかし、教育論からの無償化が議論されるのであれば、意味がないわけではないと、私自身も思ってきた。
ところが、結局は今までの延長でしかないことが分かってきた。今月行われた内閣改造で、「人づくり革命担当大臣」を新設したが、経済再生担当大臣と兼務であるということにも表れている。大臣の下に、厚生労働省や文部科学省からの人材と、有識者による「人生100年時代構想会議」を設置し、教育の無償化や大学改革を議論するという。が、これまで文部科学省を中心とする教育改革や、教育再生実行会議での議論と何が違うのだろうか。結局は、新たな教育財源のための国民負担の合意形成を内閣府主導で図っていく、そのために大臣と組織を置いたとしか見えないのである。
教育の無償化は、教育論の中で議論をすることが必要である。無償化が機会均等につながるという点においては、高等教育か幼児教育かという議論はあるにせよ、今より拡充することに異論はない。しかし、それと同時に行わなくてはならないのは、無償化する教育で何を身に付けさせるのかという、教育の中身と、それぞれの子供たちの能力に見合った教育を考えることである。