羽田孜元首相が28日午前、老衰のため東京・世田谷区の自宅で死去した。82歳。関係者が明らかにした。東京都出身。葬儀は9月8日午後1時から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻綏子(やすこ)さん。羽田氏は政界引退後、多発性脳梗塞で闘病していた。
成城大卒業後、小田急バス勤務を経て昭和44年に衆院旧長野2区で初当選し、当選14回。自民党旧竹下派出身で「七奉行」の一人に数えられ、中曽根、竹下両内閣では農相を務めた。リクルート事件を受け、自民党選挙制度調査会長として政治改革に取り組み、小選挙区導入の旗振り役となった。
宮沢内閣では蔵相に就いたが、平成5年6月に野党が提出した宮沢内閣の不信任決議案に賛成。小沢一郎氏らと共に自民党を集団離党して新生党を結成し、同年8月に発足した「非自民」勢力7党1会派による細川連立政権では副総理兼外相を務めた。