広島土砂災害3年

子供たちの笑顔守る 息子2人犠牲の母

亡くなった息子の都翔ちゃん(右)と遥大君の遺影の前で、娘の菜月希ちゃんを抱く平野朋美さん=広島市安佐南区
亡くなった息子の都翔ちゃん(右)と遥大君の遺影の前で、娘の菜月希ちゃんを抱く平野朋美さん=広島市安佐南区

 平成26年8月に広島市を襲った豪雨で77人が犠牲となった土砂災害は20日、発生から丸3年となる。2人の息子を亡くした主婦、平野朋美(ともみ)さん(40)は昨年秋、被災した場所で再建した自宅に戻った。新たに娘も誕生。悲しみが癒えることはないが、「もう二度と子供たちを悲しい思いにさせない。笑顔を守る」と前を向いて歩き始めた。

 あの日、同市安佐南区の自宅の裏山が崩れ、轟音(ごうおん)とともに土砂が流れ込んできた。山側の1階和室で寝ていた長男、遥大(はると)君=当時(11)=と三男、都翔(とわ)ちゃん=同(2)=が一瞬で土砂にのみ込まれた。別の部屋にいた平野さんは辛くも助かったが、2人の死後、何度も自分を責め、家に引きこもる日が続いた。

 そんな家族を勇気づけたのは、次男(12)の一言だった。

 「家族みんながニコニコしとかんと、赤ちゃんが来てくれんよ」。兄と弟を失い、怖い夢を見ては泣いていた次男が、少しずつ元気を取り戻し、笑顔でこう話してくれた。そして、新たな命を身ごもり、昨年8月に長女の菜月希(なつき)ちゃんが誕生した。

 自宅を再建して戻ったのも、次男が「帰ろう」と言ったことがきっかけだった。崩れた裏山の擁壁工事が完了したことも後押し、夫の学さん(42)と話し合い、決断した。

 菜月希ちゃんの誕生で家族の笑顔が増えた。「遥大と都翔に見守られ、娘が生まれてきてくれた」と平野さん。2人の幼い息子を亡くした悲しみは深いが、「どんな状況にあっても前向きに生きることはできる」と信じている。

 裏山と反対側の部屋に飾る2人の遺影に、平野さんは毎日のように菜月希ちゃんと手を合わせる。

 「娘は、物心ついたころには亡くなった兄がいるということを、自然と受け入れていくでしょう。少しずつ災害のことを話していきたい。4人きょうだいということを忘れないように」。平野さんは静かに語った。

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