住吉丸の悲劇忘れない 南あわじで戦争展 語り部が平和訴え 兵庫

資料を使って「住吉丸」の悲劇を説明する山崎健祐さん=南あわじ市松帆高屋のJAあわじ島松帆支所
資料を使って「住吉丸」の悲劇を説明する山崎健祐さん=南あわじ市松帆高屋のJAあわじ島松帆支所

 南あわじ市松帆高屋のJAあわじ島松帆支所で、「平和のための淡路戦争展」が開かれた。同市阿那賀在住の語り部・山崎健祐さん(73)が、民間の貨物船「住吉丸」で鳴門海峡を航行中に米軍機の機銃掃射に遭い犠牲となった海軍予科練生ら82人の出来事を語った。

 戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えようと実行委員会が平成7年から実施し、今回で23回目となった。

 昭和20年8月2日、淡路島に砲台をつくるため住吉丸に乗って徳島県・撫養(むや)から阿那賀に向かっていた「宝塚海軍航空隊・甲種飛行予科練生」ら111人が米軍機に襲われ、14〜19歳の予科練生76人を含む82人が亡くなった。

 山崎さんは、当時14歳で住吉丸に乗船し機銃掃射の弾丸が頭部をかすめながら九死に一生を得た大島正純さん(86)=西宮市=から聞き取った話を基に、自身で研究した内容も加えて説明。住民らが船を淡路島に曳航(えいこう)して死者やけが人を運んで埋葬や手当てをしたことや、鳴門海峡を一望する土地に慰霊碑などができたことを紹介した。山崎さんは「地元や遺族、有志の協力で立派な墓地が造成され、顕彰碑と墓石も建立された」と関係者の慰霊への取り組みを評価した。

 会場には福良や鮎原など淡路島での空襲の記録や要塞跡の資料、出征時の寄せ書きやのぼりなども展示され、来場者らが見入っていた。実行委の高丸淳次さん(60)は「展示を通じて、少しでも戦争の悲惨さを身近に感じてほしい」と呼びかけていた。

会員限定記事会員サービス詳細