浪速風

困窮に勇気ある新聞人もいた終戦の夏

終戦の1カ月ほど前の僚紙・大阪新聞に、こんな記事が載っている。「東大寺の松脂(まつやに)増産へ」。工業用油脂の代用として採取が奨励され、奈良の東大寺でも境内の松の皮削りが完了したというニュースである。後にサントリー社長になる佐治敬三さんは、海軍燃料廠(しょう)で松根油の抽出が任務だった。

▶すでに石油が底をつき、精製して航空機用燃料にしようというのだ。金属類は鍋釜にいたるまで供出され、なんとか土管や甕(かめ)を使って抽出装置を組み立てたが、松根油で飛んだ飛行機は1機もなかった。精製する工場が爆撃で壊滅してしまったからだ。大阪新聞は一面コラムでこう書いた。

▶「現在の生産現場が皇土決戦の総力、戦場としてどんな実態にあるか、(空襲)警報が出るころに一度廻って見るがよいと思ふ」。「神州不滅」の精神論ではなく現実を見よ、と異例にして勇敢な政府・軍部への批判を含んでいた。これも記憶にとどめたい昭和20年8月の一コマである。