テレビや映画に引っ張りだこの俳優、遠藤憲一さん。10月スタートのNHK連続テレビ小説「わろてんか」では、ヒロインの父親役として登場する。長身で眼光鋭く、いかつい風貌でコワモテ俳優のイメージが強い遠藤さんだが、意外な素顔が次々と明らかになっていく。(聞き手 杉山みどり)
――遠藤さんが俳優の道を目指されたきっかけは?
遠藤 高校中退です。教科書をロッカーに入れっぱなしのまま夏休みを迎えたら、先生に全部燃やされてしまって。2学期から教科書を買わずにいたから、授業も面白くなくなって退学しました。その後、バイトを転々としたんですが、ある日、電車の中吊りでタレント養成所の募集広告が目に留まって。軽い気持ちで入ったら、その養成所には劇団もあったんです。
――そこから芝居の道に入ったんですね
遠藤 芝居に触れて、人間をつくることが面白くなりました。
――その後、仲代達矢さん夫妻が主宰する「無名塾」にも入塾されました
遠藤 10日で辞めてしまいましたけどね。
――たった10日…
遠藤 退塾してから、自主公演で舞台をやったんですが、たまたま見に来た人が映像の世界へスカウトしてくれまして。その人がマネジャーになってくれたのですが、僕のプロフィルを書くとき、経歴があまりに何もないので困って「『無名塾』を10日で退塾」と書いていました。それが目を引いたのか、BK(NHK大阪放送局)のプロデューサーが「会いたい」と言ってくれて。新撰組の平隊士に焦点を当てた連ドラ「壬生の恋歌」(昭和58年放送)に抜擢(ばってき)してくれました。それがドラマデビューです。
――その後、刑事ドラマやサスペンスドラマ、時代劇など出演の機会も増えていきました
遠藤 ただ、20代は刑事ドラマの犯人役が多かったです。映画でもゆすりたかりみたいな役で。顔つきのせいでしょうか(笑)。
――転機はいつ
遠藤 29歳で結婚したんですが、そのころからナレーションの仕事が増えてきて、少し生活が安定しました。それまでは家賃3万5千円の四畳半・共同トイレの木造アパートに住んでいたんですよ。
――脚本を書かれたこともあるとか
遠藤 脚本を書いて演技の勉強をしようと思ったんです。自分がやりたいドラマを書きたいと思ったこともあって。それと、嫌なことがあると途中でやめてしまうやめ癖も直そうと決意しました。毎日1行でも書くと決めて、5年くらい書き続けました。
――気合を感じます。その後、実際に脚本が形になったことはあるのですか
遠藤 はい。水谷豊さん主演の「刑事貴族2」(平成3年放送)の数話、書かせていただきました。でも最後の1話は大変でした。プロデューサーたちと「こうした方がいい」「ああした方がいい」と言ってるうちに大幅に変えることになり、会議が終わったのが夕方。でも翌日の昼までに仕上げないといけない。プロデューサーと2人で会議室にこもりました。そして書いては渡し、書いては渡し。なんとか間に合いました。
遠藤憲一
えんどう・けんいち 昭和36年生まれ。東京都出身。58年に「壬生の恋歌」でドラマデビュー。Vシネマで多くの悪役を演じる一方、個性派俳優として幅広い作品に出演。ドラマ「湯けむりスナイパー」「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」シリーズ、「民王」、「真田丸」、映画「うさぎ追いし 山極勝三郎物語」など。