みちのおくへ

宮本武典 「夕顔棚納涼図屏風」に憧れて

 学生から「先生がいちばん好きな絵はなんですか?」と無邪気に質問され、答えに窮することがある。「いちばん」というのは難しいから、2、3の作品の薀蓄(うんちく)を披露するのだが、ではいま、ひとつ絵を挙げるとしたら、間違いなく東京国立博物館収蔵の国宝「夕顔棚納涼図屏風(びょうぶ)」だ。17世紀に活躍した狩野派の絵師、久隅守景の代表作だが、豪華絢爛(けんらん)な花鳥風月でも涅槃(ねはん)図でもなく、ありふれた農村の一家団欒(いっかだんらん)らしき情景を描いており、「もっとも国宝らしくない国宝」ともよばれているらしい。

 しかし、僕はこの絵が大好きなのである。簡素な夕顔棚(瓢箪(ひょうたん)という説もある)の下にムシロを敷き、一組の家族が夕涼みをしている。ごろりと横たわり頬杖(ほおづえ)をついている男、子供はその腰にまとわりつき、妻は夫に寄り添うように座っている。3人の視線の先は描かれていない。凝視しているふうではないから、鈴虫の音にでも耳をすましているのか。

 棚の周囲の描写は大胆に省かれ、地面と空の境目すら朦朧(もうろう)として定かでない。がらんとした舞台にスモークが焚(た)かれ、中央に夕顔棚だけがポンと置かれているみたいだ。それなのに、画面の余白から吹き抜けてくる風と草木のさざめきが、絵の外側にいる僕にも届いてくる。背後には幽玄なおぼろ月。なんて平穏で、満ち足りた世界だろう。

 人間と自然が一つに溶け合った「夕顔棚納涼図屏風」は、長らく僕にとっての理想郷だったが、思いがけず山形県の真室川町で、この絵とまさに瓜(うり)二つの風景と出会った。伝承野菜「甚五右ヱ門芋」を継承する、農家の佐藤春樹さん衣利子さん夫婦の住まいである。古民家を改装して暮らす二人には坊やが一人。佐藤家代々の芋畑や田んぼは集落に点在しているその畑の菜園用つる棚に見慣れない山吹色の野菜が実っていた。これも伝承野菜「勘次郎胡瓜」である。生のままかじらせてもらうと、水気が清々(すがすが)しく、身体の火照りがぐっと和らいだ。

 古民家と畑は、縁側でつながっている。あいにく雨が降りはじめたが、佐藤さんは陽がおちるまで照明を点(つ)けないので、縁側越しに眺める畑は一幅の屏風のように、濡(ぬ)れていっそう青々と美しく輝いた。車の騒音も喧(やかま)しいテレビもなく、静かだ。いや、実際には背後の森でヒグラシが鳴いているし、庇から滴る雨だれや、坊やが立てる物音も絶えず響いているのだが、それらはノイズではなくて、風景全体と溶け合い馴染(なじ)んでいる。この安息はまさに、あの「夕顔棚納涼図屏風」の世界ではないか。

 佐藤春樹さんが先祖から受け継いだ甚五右ヱ門芋は、久隅守景が生きた時代よりもさらに古く、室町時代までさかのぼる。種芋も胡瓜の種も、平凡な家族団欒も、絢爛豪華な芸術にはならなくとも、実はその中に悠久を宿す。これこそが、久隅守景が描きたかったものではなかったかと、夏の真室川で得心したのである。(キュレーター/東北芸術工科大学准教授)

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【プロフィル】宮本武典

 みやもと・たけのり 昭和49年、奈良県生まれ。平成11年、武蔵野美大大学院修了。海外子女教育振興財団の教員派遣プログラムでタイ・バンコクで教職に就き、仏・パリでの滞在研究を経て現職。地域社会に根ざしたアートプロジェクトを展開している。東日本大震災後、学生らと復興支援ボランティアチーム「福興会議」を組織したほか、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」プログラムディレクターも務める。

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