八千代市を拠点として多彩な国際交流活動を展開する八千代少年少女合唱団を指揮する。
昭和49年、同市立大和田小学校に新人教員として赴任した。着任早々、校長から「合唱部の指導を引き継いでほしい」と要請された。先輩教員が退任し、その後任に抜擢(ばってき)されたのだ。
「私はピアノ専攻でした。合唱とは縁がなく、指揮の仕方もわからない。泣きたい気分でした」
しかし、たじろぎ、立ち止まる時間はなかった。新人教師はさっそく行動開始。週末、東京都内に通って個人レッスンを受け、初歩から学んだ。熱意は実を結ぶ。合唱の指導は軌道に乗ったが、結婚を機に退職し、学校を離れた。
やがて市民たちが合唱団を創ろうと動き出した。指揮者として迎えられ、52年、八千代少年少女合唱団が発足した。合唱団はぐんぐん実力を高めていく。外国との交流協会などから注目され、公演依頼が舞い込むようになった。来日したチェコスロバキアの少年少女合唱団やオーストリアの少年合唱団と共演。さらに中国に渡って歌声を響かせた。
「北京の会場は3千人収容の大ホールでした。観客が熱狂的なんです。立ち上がってものすごい拍手と歓声。子供たちは感激して泣いていました」