秋田藩の初代藩主、佐竹義宣(よしのぶ)には、実子がなかった。跡継ぎは、年の離れた腹違いの弟、義継に決めていた。ところが義継は、2代将軍、徳川秀忠の前で不始末をしでかす。
▼江戸城で催された能楽の途中で、当時15歳の義継は居眠りをしてしまった。しかもそれを見とがめて、義宣に知らせたのが、長年の仇敵(きゅうてき)である伊達政宗である。面目丸つぶれの義宣は、義継を廃嫡し出家を命じた。
▼秋田県の佐竹敬久(のりひさ)知事は、佐竹家の分家である佐竹北家の21代目の当主である。地元では猫好きの「殿」として親しまれている佐竹知事が、失態を演じてしまった。秋田県は22日から23日にかけて記録的な大雨に見舞われた。各地の道路は寸断され、床上・床下浸水した住宅は500棟を超えた。その最中、県庁で指揮を執っているはずの、佐竹知事の姿はなかった。
▼22日朝から友人と車で宮城県内のゴルフ場に出かけ、夕方までプレーを楽しんでいた。昼頃にはすでに一部の自治体から避難勧告が出ていた。そんな状況は、県職員から送られてきたメールで把握していた。にもかかわらず、そのまま酒を飲んで宿泊した。翌日急いで戻ろうとしたものの、渋滞に巻き込まれ、自分が開くよう指示した、被害に関する連絡会議に間に合わなかった。