「自分の育てられ方に直面しました。父親が暴言を吐くと子供は身をすくめてしまう。わが子にそんな思いはさせたくなかった」
自由に人生を楽しむ父親になりたいと、映画や音楽、身近な人のなかから、ロールモデルを探し、けんかのときこそ、感情的にならないように意識した。葛藤し模索するなか、平成18年、FJを設立した。
「親の嫌な部分を繰り返さないためにどうするか。これは誰しもが抱える問題ではないでしょうか」
幸典さんは晩年、全盲になり、要介護状態に。平成23年に死去したが、葬儀のときも涙は出なかった。
それでも、父からの愛情を感じなかったわけではない。亡くなる前に実家でアルバムの整理をした。「記録魔」だった幸典さん。安藤さんの写真には「お兄ちゃんと遊べるようになって良かったね」という一文があった。「ファインダーの向こうで、父は笑顔だったんでしょうね」
自分が親になって見えてきたものもある。父方の祖父は香川県の中学校の校長。幸典さんは、家父長制の強い厳格な家庭に育ったようだった。