浪速風

劉暁波氏の死に思う

劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏の死去に関して、改めて思い出すことがある。1989年の天安門事件の1年後、北京に1カ月ほど滞在した。広場の一角に、ものが焦げたような黒くかすれた跡があった。民主化を求めて立ち上がった学生たちの、その後を思った。

▶何人かの若者と知り合った。事件については口をつぐむ。かかわったかどうかも定かではない。けれども日本をはじめ自由主義国へのあこがれは、言葉の端々に感じられた。帰国後、知り合った女性からもらった手紙には、日本への淡い思いがつづられていた。いまどうしているだろう。

▶94年、中国は「愛国主義教育実施綱要」を打ち出した。反日教育が始まる。民主化を弾圧して高まった不満を国外に向けるためと、複数の識者は見る。その後の中国は、知っての通り。天安門事件を知らない世代も増えたと聞く。だが真実は消えない。香港の集会で劉氏の写真とともに掲げられた「哀悼」という言葉が、さざ波のように広がる。