【話の肖像画】フィギュアスケート・コーチ 浜田美栄(2)レベルの差痛感した米国留学(1/2ページ) - 産経ニュース

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フィギュアスケート・コーチ 浜田美栄(2)レベルの差痛感した米国留学

同志社大在学中に米国留学。現地で指導者の礎を学んだ(本人提供)
同志社大在学中に米国留学。現地で指導者の礎を学んだ(本人提供)

 〈フィギュアスケートを始めたのは約50年前。日本ではまだマイナー競技の時代だった〉

 小学3年の冬休みに、自宅近くのアイスリンクで短期のスケート教室があると知った母が申し込んできました。「氷の上でクルクル回るやつ」ってイメージしかなかった時代です。初めてスケート靴を履くと、まあまあ、滑ることができたんですね。それで楽しくなって、もっと続けたいな、と。小学4年に上がってから本格的に習うことになりました。

 当時の私は、習い事が続かなかったんです。姉と一緒に始めたピアノも、座っているのが嫌で途中でやめてしまいました。母からは「やってもいいけど最後まで続けること」と約束させられました。

 続けられたのは、楽しかったからなんでしょうね。練習はほぼ毎日。リンクが冬しか営業していなかったので、夏は大阪の桜ノ宮まで、京都から電車を乗り継いで1時間以上かけて通いました。上達は速かったんです。5年生のときには、関西の大会で優勝。フィギュアスケートには進級テストがあるのですが、一度も落ちませんでした。

 〈中学2年で全日本選手権に初出場。当時は、1979(昭和54)年にウィーンで開催された世界選手権で銅メダルを獲得した同級生の渡部絵美さんが8連覇をしていた時代。大学2年まで通算6回出場したが、表彰台に立つことはかなわなかった〉