松下電器産業創業者の松下幸之助氏は昭和8(1933)年、本社を大阪市福島区から門真市に移転した。その後、三種の神器(洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビ)の家電ブームで工場を拡大。門真はパナソニックの城下町として発展した。
パナソニックの4つの社内分社のうち、太陽電池や車載機器などを手がける2社は門真市に、白物家電などの1社は滋賀県草津市に、それぞれ今後も本社を置く方針だ。それだけに、樋口氏の門真脱却宣言に戸惑う関西企業関係者は多かったという。
「遅すぎた」判断
樋口氏は顧客が東京に集中していることを移転の理由に挙げ「みんなでお客さまの近くに行く」と語った。事実、工場の稼働を効率化するIoTのサービスや旅客機の座席に備え付ける映像・音響(AV)機器事業の9割近くの顧客は東京にいるとされる。
またCNS社が手がけるサイバーセキュリティー事業では、競合他社のほとんどが東京に本社を構える。同業他社の幹部は「サイバー対策に取り組む関西企業は東京より圧倒的に少なく、大阪で事業をしてもメリットはない」と話す。
パナソニックの東京シフトはむしろ「遅すぎた」という指摘も多い。