【追悼・上田利治さん(上)】常勝・阪急の土台づくりの秘密とは… 監督自ら渡米し選手獲得(2/6ページ) - 産経ニュース

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追悼・上田利治さん(上)

常勝・阪急の土台づくりの秘密とは… 監督自ら渡米し選手獲得

 「マルカーノはキャッチボールを見て、『これだ!』と確信した。ガッツもあり、何よりハングリー精神にあふれていた」

 一方、ウィリアムスは肩を壊していた。

 「来日してからトレーナーのマッサージを受け、キャッチボールを再開して徐々に治った」

 両助っ人の獲得は大当たりだった。マルカーノは阪急に8年、ヤクルトに3年在籍し、二塁で好守備を誇るとともに、78年には打点王を獲得するなど打撃でも活躍した。俊足、好守のウィリアムスはレフトの大熊忠義、センターの福本豊とともに鉄壁の外野陣を形成。6年間、阪急で結果を残した。

 また、投手では74年のドラフトの目玉だった山口高志(松下電器)を1位指名し、獲得できたのが大きかった。

 「指名順位は近鉄のほうが先。獲られるだろうと思っていたら、監督の西本さんがうちのテーブルにきて『獲りたい投手を獲れないんや』とぼやいていた」

 西本監督の予告通り、近鉄は別の投手を指名し、阪急は上田さんの関大野球部の後輩でもある山口を獲得した。

 「社会人時代は球速155キロから156キロを出し、打者からボールは見えにくかった」

 上田さんが回想した右腕は期待通りに1年目から12勝と活躍し、パの新人王に選ばれた。

 頼りになる助っ人2人と新人投手の加入で課題の守りを固めた上田阪急は75年に前期優勝。プレーオフでは後期優勝の西本近鉄を3勝1敗で退けた。

 日本シリーズでは上田さんの古巣の広島と対戦。4勝2分けで阪急は初の日本一に輝いた。

 「2試合も引き分けたことでシリーズを勝つのは難しい、大変だと思った」

 上田さんは当時をこう回顧した。その思いは76年、宿敵・巨人との日本シリーズでさらに深まることになる。