長女、長男、実父と「喪主」3回、胸中は… 「自分の死」を伝える大切さ タレント・風見しんごさん

「喪主を務めてくれる人には、何かしら伝えておきたい」と話す風見しんごさん
「喪主を務めてくれる人には、何かしら伝えておきたい」と話す風見しんごさん

人はいつ「喪主」になるか分からない。タレントの風見しんごさんはこれまで3度、まったく違う状況で喪主を務めた。最初は平成19年に当時10歳だった長女、えみるちゃんを交通事故で亡くしたとき。2度目は20年に長男、こころくんが死産だったとき。そして3度目は25年、実父が旅立ったとき。喪主としての胸の内を語ってもらった。

娘の部屋にして

えみるの通夜は亡くなった2日後でしたが、頭が真っ白でどんな葬儀にしたいとかは、まったく考えられませんでした。

助けてくれたのが葬儀社の方でした。「どんなお嬢さまだったんですか? 差し支えなければお嬢さまのお写真を見せていただけますか」と、えみるを知るところから始めてくれました。

そうしてえみるの好みを共有するうちに、式場をどんな色にするかや、花が決まっていきました。あれは本当に助かりましたね。

遺された人のため

こころのときは死産でした。死産の場合は葬儀をしないこともあるそうですが、内々ですることにしました。僕というより妻の気持ちが重要でした。8カ月間、生きている彼と一緒にいたわけですから。

葬儀は、僕ら家族と妊娠中も妻を支えてくれた数人の友達だけで行いました。「とにかく送り出す気持ちを大切にしよう」「みんなでしっかり送り出そうね」という感じでした。娘のときもそうですが、あとで思うと「遺(のこ)された者のために一生懸命やっていたのかな」という気もします。

父の葬儀は2回

そして最後が父です。長らく認知症を患っていて、遠距離介護が不可能な状態になったので、18年に故郷の広島から東京に来てもらっていました。

亡くなったのが25年12月27日。東京には僕ら以外に知り合いがいないのですが、故郷で葬儀を挙げるのも(年末年始で)タイミング的にちょっと…という状況だったんですね。だから、「オヤジごめん」と言って、ひとまず東京で葬儀を挙げたんです。家族だけで内々に。

それから正月が明けた頃、骨壺を故郷に持って行って、親戚(しんせき)や父の友人の方々をたくさん呼んでお別れの会を開いたんです。だから、2回お葬式をやったんですよ。

負担減らし、笑って

3度も喪主をやって実感しましたが、亡くなる人の意向が聞けるなら、それに越したことはないです。僕の場合、娘や息子はもちろん、父も長く認知症だったので、3度ともどんな葬儀をしてほしいとか、誰を呼んでほしいといったことは聞けなくて。こちらで全部考えて、よかれと思うことをやっていく感じでした。

なんとか最善のかたちで送ってあげたいけれど、答え合わせができないんですよね。

だから、僕や妻、妻の両親は、死後のことについて話しています。お義母さんなんて、どこの葬儀社にお願いして、どんなお花を飾って、誰を呼んでというような意向を紙に細かく書いて妻に渡していました。

元気なうちからそんなことを言うと縁起でもないとか、不幸を呼ぶとかで遠ざけるところはあると思いますが、人はいつか亡くなるわけですから。やっぱり自分の喪主になってくれるであろう人には、何かしら伝えておくべきだなと、これまでの経験から感じます。

万一のことがあったとき少しでも負担を減らしたい、重荷に思わないで、その分、笑っていてほしいという気持ちからですね。(『終活読本ソナエ』春号から)

【プロフィル】風見しんご(かざみ・しんご)

昭和37年、広島県生まれ。18歳のときに「欽ちゃんの週刊欽曜日」(TBS系)でデビューし、現在までドラマやバラエティー番組、映画、舞台などで活躍中。全国で命の大切さを伝える講演活動もしている。

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