人々が20年前に描いた香港の未来図は、決して現在の姿ではなかったはずである。中国政府は香港の高度の自治を認めた「一国二制度」の原点を思い起こすべきだ。
香港島はアヘン戦争で英国に割譲され、その主権は1997年に中国に戻った。その際、中国政府は英中合意で、英領から引き継いだ制度を50年間維持する一国二制度を約束した。
これは香港の「基本法」にもはっきり示されている。だが、返還後の香港では「高度な自治」が崩れ、「中国化」だけが進んでいるのが実情ではないのか。
20年を迎えた1日、中国の習近平国家主席は香港での演説で一国二制度を堅持すると述べながら、香港独立の動きに対し「中央政府の権力に対するいかなる挑戦も決して許さない」と強調した。
あまりにも高圧的である。
2014年には若者が香港の路上を占拠する「雨傘運動」が展開された。これに続き、香港独立を求める「本土派」が生まれた。いずれも中国の重圧が招いた結果ではないか。
香港の国会にあたる立法会では、「本土派」の議員が当選早々に失職させられた。17年に導入されるはずだった行政長官の直接選挙も実現していない。
民意を反映しない政治制度は、まさに中国本土からの直輸入というべきものだ。
制度の骨抜きをはかりながら、異なる動きを「権力への挑戦」と決めつけて一切許さない姿勢は、容認できない。
中国は香港の発展について、自らの功績として誇りたがっている。表面的には香港の経済指標は20年で上向いた。域内総生産(GDP)は、返還時の19兆円から16年には35兆円に膨らんだ。