みちのおくへ

「それなりにしんどい」

 山形に引っ越してきた旧知のグラフィックデザイナーが、新しく構えた仕事場が手狭だったらしく、駐車場で本やCDのガレージセールをやるという。引越し祝いのワインを持たせて、娘たちにのぞきに行かせたら、小学校5年生の長女が「これ、面白いよ。あげるよ」と漫画本を数冊もらって帰ってきた。

 羽海野チカさんの『ハチミツとクローバー』である。美術大学を舞台にした青春群像劇で、2006年に櫻井翔さんや蒼井優さんら人気俳優をキャストに映画化されたので、ご存じの方も多いと思う。僕の母校がモデルになっているらしい。わが家には漫画本がないので、娘たちは顔を埋めるようにして、夢中になって読んでいる。

 まずい、まずいぞ…と思っていたら案の定、「お父さん、美術大学ってすごく楽しそうだね! お父さんも美大の先生だし、私、大きくなったら美大に行きたいなぁ」と言いだした。美大出身で、しかも美大の教員をしていながら、なぜか「おう、めちゃくちゃ楽しいぞ!ウエルカム!」と即答できなかった。ショックだった。

 そこで思い出したのは、スタジオジブリの映画『耳をすませば』(1995年)のワンシーンである。中間テストそっちのけで、小説の執筆に没頭する主人公・楓に、理解は示しつつも「人とちがう道は、それなりにしんどいぞ」と優しく諭すお父さん。声優はジャーナリストの立花隆さんで、棒読みのセリフがかえってリアルだった。

 『耳をすませば』が公開されたちょうど同じ頃、僕は絵描きになる夢を抱いて入試用のデッサンを描きまくり、どうにか東京の美大に滑り込んだ。「それなりにしんどい」門を本格的にくぐってしまったのである。以来、今日まで何回かの挫折を味わってきたが、まだまだ「道半ば」のつもりなのに、いつの間にか娘を諭さなきゃならない役回りになってしまったとは!

 先日は、大学1年生全員(約600人)に講義をした。オムニバス形式の授業で、毎週違う教員が「アートの社会的役割」を大枠のテーマに、自由に語ってよいことになっている。学内最大の階段教室でも300席しかなく、入れ替え制で同じ内容を2回話すから大変だ。ついこの間まで高校生だった彼らに、いったい何を伝えられるだろうと、講義用のパワーポイントを操りながら、頭に浮かぶのは体育座りで『ハチミツとクローバー』を熟読する長女の姿。やっぱり「(表現の道は)めちゃくちゃ楽しいぞ!」とは言えないよな。でもすごくうれしい。何だろう、この気持ちは。

 それにしても「しんどいぞ」ではなく「それなりに」をつけたのは、さすがジブリである。誰だって素晴らしい原石を持っている。自分の可能性を信じて、それを磨き続けることは確かに「しんどい」が、それを「それなりにしんどい」にするには、周囲の大人たちの理解と応援が不可欠なのだ。(キュレーター/東北芸術工科大学准教授)

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【プロフィル】宮本武典

 〈みやもと・たけのり〉昭和49年、奈良県生まれ。平成11年、武蔵野美大大学院修了。海外子女教育振興財団の教員派遣プログラムでタイ・バンコクで教職に就き、仏・パリでの滞在研究を経て現職。地域社会に根ざしたアートプロジェクトを展開している。東日本大震災後、学生らと復興支援ボランティアチーム「福興会議」を組織したほか、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」プログラムディレクターも務める。

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