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「2002年の小泉訪朝を前に、北朝鮮は準備を着々と進めていた。私は日本海をボートで漂流中に北朝鮮の船に救われたというシナリオを3月から5月にかけて頭にたたき込まれた。そして、家族に会う場所として、平壌のマンションに移された」
2002年10月、蓮池さんは帰国を果たした。1年半後に北朝鮮に残していた子供2人も取り戻した。「心配だった。子供と生き別れでは、日本に残れないと思った。兄と大げんかしたこともある」と、厳しい選択を迫られた当時を振り返る。
現在も拉致被害者、特定失踪者を含め北朝鮮には日本人800人以上がとどめられているとされる。
「今、残っている人たちは私たちより何倍も辛い思いをしている。もう帰った人がいるのに、なんで自分は帰れないのかと思い15年間過ぎた。北朝鮮は死亡したと日本政府に説明している。この恐怖感。一日も早い帰国を望むが、政府に交渉で頑張ってもらうしかない。国民世論が北を上回らなければ負けてしまう現実がある」と言葉に力を込めた。
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北朝鮮は核実験と弾道ミサイルの発射実験を繰り返している。蓮池さんは「核・ミサイルと拉致問題は切り離さなければ。核・ミサイルは日本の安全上、重要なのでプレッシャーをかけるべきだ。一方、拉致は北朝鮮が応じるのであれば、積極的に交渉を進めるべきで、国際社会に対して、日本にとって拉致は重要なのだということをアピールして理解を求めなければ」と力説した。