話の肖像画

元衆院議長・綿貫民輔(3) 小渕首相との最後の電話

 12年4月1日の夜のことです。私が北海道出張から帰ると小渕さんから「遅い時間でもいいので連絡がほしい」と伝言がありました。すぐ電話したら、小渕さんが「民さん、小沢との話は断るよ」と。私が「仕方ないですよ。やむを得ないですね」と答えたら、「そうだなぁ」とおっしゃった。これが最後の会話です。小渕さんは電話を切って間もなく倒れ、翌月に亡くなりました。

 私が派閥の会長として気を配ったのは、政治の要諦である人事です。組閣でも、後輩議員が何をやりたいのかをまず考え、推薦した。自分のことばかり考える政治家はだめだ。だから、政治家は自分の選挙に強くなければいけないのです。強くなければ、ほかの人のことを考える余裕を持てないでしょう?

 〈12年、第70代衆院議長に就任した〉

 選出された7月4日は、母、かずの命日でした。議長時代でよく覚えているのは、12年11月、森喜朗内閣不信任案が出た衆院本会議。与党の松浪健四郎衆院議員が野党の激しいやじに怒り、壇上からコップの水をかけたあの事件です。野党議員が演壇に詰め寄って大混乱し、私が「やめなさい!」と何度叫んでも収まらない。私は強引に本会議を休憩とし、渡部恒三副議長と相談の上、松浪氏に退場を命じました。何と52年ぶりのことだったそうです。

 この騒動のときは、ほかにも大きな決断をしました。議長席には「号鈴(ごうれい)」が置いてあります。規則で「鳴らしたときは何人も沈黙しなければならない」とある。私はこれを(現行憲法下の衆院で)初めて鳴らしたんです。極端に言えば、議長はお飾りでも務まる。慣例通りに議事進行していればケガをしないが、手柄も進歩もない。だから私は先例にこだわりませんでした。(聞き手 田中一世)

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