七ケ宿町の不忘(ふぼう)平和記念公園でこのほど、ヤマザクラの植樹が行われた。約70年前、米軍のB29爆撃機3機が蔵王連峰の不忘山に墜落し、乗員34人全員が死亡した事故があったこの地。桜の植樹は犠牲になった米兵の慰霊と世界平和を祈ることが目的で、約230本が植えられた。(林修太郎)
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植樹には地元住民をはじめ、全国からのボランティアら約300人が参加。家族で参加した近くの市川愛華さん(9)は「きれいに桜が咲くとうれしいです」と話した。
◆惨状、数々の遺体
元農業の高橋秀雄さん(90)は、不忘山の山中に3機のB29が墜落したのは昭和20年3月9日夜から翌10日未明のことだったと記憶している。
高橋さんは青年学校を卒業したばかりで、最年少の警防団(消防団)員。9日夜、ラジオで何度も聞き、覚えていたB29の飛行音がした。翌日に控えた陸軍記念日の式典の下見に来たのだろうと思ったが、深夜、山で大規模火災が発生。爆撃機が墜落したことがわかった。翌朝、警防団と猟銃を持った猟友会の15人ほどで様子を見に行った。
「もし米兵が生存していたら、戦闘になるかもしれない」。決死の覚悟だった。山中はもやでかすみ、視界は悪かった。高橋さんもやぶを払うための鉈を持つ手に力が入った。
霧が晴れた瞬間、前方の岩場に飛行機の尾翼らしきものが見えた。「上からの方が、撃ち合いにも逃げるのにも良い」と同行者が言い、山側に回り道した。
威嚇射撃をしたが反応はなく、恐る恐る近づくと、米兵が10メートル間隔で3、4人倒れているのを見つけた。「この野郎めらのおかげでわれわれは飲まず食わずで…」。だが、気持ちのやり場がなかった。
機体は真っ黒に焼け焦げて損傷していた。詳しく調べると、多数の米兵の遺体が見つかった。墜落の衝撃を生き延びたものの、凍死したとみられる遺体もあったという。
◆日本人の善意知って
敵国の兵ということもあり、高橋さんは「あの時は遺体すら憎かった」と振り返る。一方で「今は、人は互いに助け合って生きる時代になった。幸せなことだ」と話す。
終戦から16年後の昭和36年、犠牲者の慰霊のため、不忘山の山頂付近に「不忘の碑」が建立された。さらに戦後70年の節目となった平成27年、不忘平和記念公園が完成。園内には碑のレプリカのほか、犠牲になった34人の名が刻まれた墓碑も建てられた。
ボランティアとして、今回の植樹にオーストラリアから参加した戸倉勝礼(かつのり)さん(78)は「かつての敵国の軍人を弔う、日本人の善意をもっと知ってほしい」と訴える。
公園周辺には、将来的に約3千本の桜が植えられる予定だ。公園を管理する財団の理事長、高橋良夫さん(74)は「建てられた碑は何年かたてば忘れられてしまう。でも山が花でいっぱいになれば、多くの人が訪れる。桜の花が、戦争の悲惨さや恐ろしさを若い人が感じるきっかけになってほしい」と話している。
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【用語解説】不忘山B29連続墜落事故
第二次世界大戦末期の昭和20年3月10日、蔵王連峰・不忘山に米軍のB29爆撃機3機が相次いで墜落し、乗員34人全員が死亡した。飛来の目的や墜落の原因はいまだ不明。平成27年に戦争の悲惨さを語り継ぎ、平和を願う目的で「不忘平和記念公園」が七ケ宿町の長老地区に完成した。