【平成30年史 バブル、それから(4)】四大証券の一角・山一廃業 「半年違えば避けられた」 先送り体質が致命傷に(1/3ページ) - 産経ニュース

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平成30年史 バブル、それから(4)

四大証券の一角・山一廃業 「半年違えば避けられた」 先送り体質が致命傷に

 国会議事堂や首相官邸に近い東京・赤坂。日枝神社の目の前に建つ9階建ての雑居ビルに、人材会社「マーキュリースタッフィング」がある。平成9年11月に自主廃業した山一証券の元社員、永野修身(58)が15年、職を失った仲間の苦境を見かね、金融業に特化した人材会社を立ち上げた。廃業から20年たった今も、山一で働いていた人が毎日のように相談に訪れる。

 「社員は悪くありませんから」と、記者会見で号泣した山一最後の社長、野沢正平(79)も社外取締役を務める。毎月の取締役会には必ず姿を見せる野沢だが、年齢よりもずいぶんと老けて見えるという。「当時の想像を超えたストレスのせいかもしれない」。関係者は声を潜める。

もうかってたのに

 「四大証券」の一つとしてバブル経済を支えた山一。日本経済新聞が「自主廃業へ」と伝えた11月22日の土曜日、千葉支店の副支店長だった永野は、本店から単身赴任先のマンションにかかってきた電話で事態を知った。

 内容はよく覚えていない。「はい、分かりました」と電話を切った。だが、携帯電話に部下からの電話が次々と入る。「どうしたらいいんですか」。32年前の昭和40年の証券不況の経営危機では、日銀による特別融資で救済された。「千葉では連戦連勝。もうかっていたのに。なぜだ…」。I・W・ハーパーの栓を切ってストレートで飲み干した。気分はさらに悪くなった。