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山口組三国志抗争のカオス 「神戸は名古屋以下」結成直後の異例会見で不満ぶちまけた「任侠団体山口組」

 そんな中、午後3時前には新組織の代表に就いた神戸山口組の元直参で山健組の織田絆誠(よしのり)元副組長(50)=神戸山口組と山健組が絶縁処分=が満を持したように登場。「道を開けて」と叫ぶ警察官と報道陣、組員らにもみくちゃにされながら「よっしゃ」と気合を入れて事務所に入ったが、会見には姿を見せなかった。

権力争いか、偽装離脱か

 織田代表とは一体どんな人物なのか。

 関係者によると、織田代表は不良グループのリーダーを経て暴力団組織に加わり、20代のころには山口組直系「倉本組」の幹部を務めた。その後、抗争事件の首謀者として服役中に、刑務所で井上組長と出会ったとされる。出所後に30代半ばで井上組長が組長を務めていた山健組傘下組織に加わると、数年後には山健組でも幹部に。神戸山口組結成後は武闘派としての行動力を買われて直参に昇格し、井上組長の右腕として働いていた。

 新組織の結成について、任侠団体山口組幹部らは神戸山口組が結成当初に掲げた大義を実行しなかったためと繰り返したが、県警の捜査幹部は「根本には織田の山健組の人事への不満があったはずだ」とみる。

 織田代表は近年、山健組組長の代替わりを見すえた幹部人事をめぐり、別の山健組幹部と対立していた。織田代表の離脱後、この幹部が山健組ナンバー2の若頭に就任したことから、跡目争いに敗れたことで組織を飛び出したとの見方が根強いのだ。

 一方、別の捜査関係者は新組織結成が「暴力団対策法の規制を逃れるため、神戸山口組と意を通じた上での偽装離脱の可能性もある」と指摘する。

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