勝負の世界に足を踏み入れたばかりの若者の前に、兄弟子がまず、立ちふさがる。将棋の大山康晴十五世名人にとって、最初の壁となったのは、升田幸三(実力制第四代名人)だった。大山は昭和10年、12歳で木見金治郎八段の内弟子になる。
▼入門初日、5歳上の升田に角落ちでテストを受け、3番ともやっつけられた。その後何番指してもかなわない。東京新聞の連載「この道」によれば、兄弟子が寝た後押し入れにこもり、懐中電灯をつけて将棋を並べ直し敗因を調べた。
▼きのう大関昇進が正式に決まった高安(27)と、兄弟子の横綱稀勢の里(30)には、いくつもの共通点がある。茨城県出身で中学まで野球をやり、卒業後すぐに入門した「たたき上げ」である。高安は17歳で初めて、兄弟子の胸を借りた。「全身の関節一つ一つにミシミシと来るような重さを感じた」。以来、数え切れないほど稽古場で番数を重ねてきた。泥と汗にまみれながら兄弟子にくらいついた日々が、高安の豪快な相撲を作り上げた。
▼稀勢の里は早くから実力を認められながら、優勝と昇進に結びつかない日々が長く続いた。じっとこらえる姿を見てきた高安は、兄弟子が春場所で劇的な連覇を果たすと、人目をはばからず号泣した。一方稀勢の里は、「高安を大関に引っ張り上げるのが、自分の使命」と公言してきた。
▼大山と升田は、有名な「高野山の決戦」をはじめ、宿命のライバルとして死闘を繰り広げてきた。盤を離れても、犬猿の仲だったといわれる。実はマスコミが作り上げた物語だったらしい。
▼強い絆で結ばれた稀勢の里と高安が仲たがいする光景など、想像もできない。とはいえ高安がライバルとして兄弟子に立ち向かう日は、きっとやってくる。