正論

安全保障避ける学術会議 冷戦期に孕んだ時代認識の欠陥の残滓だ 東京大学客員教授・米本昌平

≪表層的な日本の軍民併用技術論≫

 最も基本的なことは、米国の科学技術は1940年を境に一変してしまったことである。第二次大戦以前の米国では、大学は東部の法文系が主流だった。ところが40年に国家防衛研究委員会が置かれ、戦争中にこの委員会が通信技術、レーダー、航空機、核兵器などの戦時研究を組織し、理工系大学がその一部を受託して力を蓄えた。戦後間もなく冷戦が始まったため、米国は41年の真珠湾攻撃から91年のソ連崩壊まで50年戦争を戦ったことになる。

 そんな中、57年10月にソ連が人類初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。米国は衝撃を受け、高度な科学技術研究を維持することが安全保障に直結すると確信し、翌年に国防高等研究計画局や航空宇宙局を新設する一方、理工系大学の大幅な拡張を促した。

 国防総省からの大規模な研究委託によって、マサチューセッツ工科大学(MIT)やスタンフォード大学などは急速に力をつけ、「研究大学」という特別の地位を獲得した。60年代末に大学紛争が起こると、軍からの委託研究は批判にさらされ、キャンパスの外に移されたが、これがベンチャー企業の先行形態となった。結局、冷戦の最大の受益者の一つは米国の理工系大学であった。