2016(平成28)年7月のことだった。札幌冬季五輪のアルペンスキー男子代表で、現在、全日本スキー連盟(SAJ)の専務理事を務める古川年正は、旧知のスキー仲間の訃報を聞いて、亜熱帯特有の蒸し暑さに包まれた台北に飛んだ。
仲間の名を「陳雲銘」という。まだ68歳。急性肝不全だった。スキー板が並べられた祭壇に飾られた遺影に別れを告げた古川は「生前いろいろ話したけど、札幌五輪の話はあまりしなかったなぁ。あいつスキー下手だったから…」としみじみ語った。
陳は、かつて「中華民国」として国際連合に加盟していた台湾が1972(昭和47)年、初めて正式に冬季五輪に送り込んだ18人(選手10人、役員8人)の選手団の一員だった。国共内戦を経て建国された中華人民共和国の承認に国際社会が傾く中、敗軍の国民党政府のトップ、蒋介石は札幌五輪を利用して「中華民国」の存在感を示そうとした、と伝えられている。
南国の台湾に当時、スキー選手がいるはずもない。総統の命を受け、身体能力に優れた素人40人を選抜したが指導者がいない。台湾が頼ったのは日本だった。陳らは群馬・草津スキー場などで、日本人コーチの指導のもと、一からスキーに取り組んだ。