金田監督も同じである。いかに仲が悪くなっていても、負けるためにエースの江夏は投げさせない。この時点で江夏は24勝、上田は22勝。藤村投手コーチの証言通り、ここ一番の勝負に金田監督は上田の「相性」ではなく江夏の「勝負強さ」に懸けたのだ。
そしてもう一つ。江夏先発の大きな要因が球団発行の『阪神タイガース 昭和のあゆみ』の「昭和48年」の項にこう記されている。
「対中日26回戦で、この時点で中日に対して8勝1敗と絶対的な自信を抱いていた上田をおいて、3勝1敗2分けの江夏に運命を託したのは、上田が風邪気味で体調不十分ということもあった」。
扁桃腺を腫せていた上田
上田は数日前から扁桃腺を腫らし微熱が続いていたのである。
江夏は自伝でこう締めくくった。
「あとで中日戦は上田で巨人戦は江夏でいけばよかったという声もあったけれど、それは結果論であって、あと1勝すればいいとなったら、勝ち星の多い方からいくのは当然です。残念な結果になったんですが、僕は今でもあれは正攻法だったと思う。僕の力が及ばなかったから負けたということです」
これが疑惑の「真相」だろう。